MATT(まーとー)

まーとーNews

2007年3月

先週、某州某高校で催された野球のトーナメント中、ケージ内で打撃練習をしていた
高校生の後頭部に隣のケージから飛んできたボールが直撃し、後日に死亡するという
事件がありました。調査ではケージの構造上の欠陥や不備損傷などは見当たっていな
いようで、現時点では学校側の落ち度は確認されておらず、偶発的事故としての見解
だそうです。ちなみに事件が起こってからすぐに、その地区内の全ての高校にケージ内
のヘルメット着用の義務付けが規定されました。

どの様なケースであったにせよ、起こってしまった後の調査は本職の人に委ねるのみです。
しかしながらスポーツの現場で働く人間として、ここで再度フィールドやコート周りに危険な
ものがないか、又は各スポーツで使う器具や道具の安全面の再確認してみてはいかが
でしょうか?

これは普段から我々はじめ現場の人間が皆心がけている事柄でしょうし、それだけに
原因になりえる問題や欠陥を新たに見つけ出すのは容易ではないと思われます。が、
これを期に、いつも以上に予防する気持ちを強めてみれば、何か改良すべき点が見つ
かるかもしれません。

 

01/28/07 第一回、貴方が決めるまーとー・オブ・ザ・イヤー

まずは表彰状です。

01/01/07 第一回、貴方が決めるまーとー・オブ・ザ・イヤー

2006年度のまーとー、オブ・ザ・イヤーが決定されました。2006年度の受賞者は

女帝・不二子 様

でした。女帝・不二子様には追って記念品を差し上げる予定です。

12/19/06 第一回、貴方が決めるまーとー・オブ・ザ・イヤー

12月もいよいよ終盤、今年も残りわずかとなりました。忙しい毎日を送る我々にとって
つかの間の休みをとっている今日この頃ではないでしょうか?日本人たるもの年末年始
の思いは特別のはず、新年を迎える前に1年を振り返って来年に備えるのはいかがは
いかがでしょうか?

まーとー・オブ・ザ・マンスも久しく選出してなかったので恐縮ですが、2006年の
まーとー・オブ・ザ・イヤーの方を選出したいと思います。自薦他薦は問いません。
何回でも投票出来ます。奮って投票下さい。

http://www.adexy3.com/mvotes05/vote.cgi?id=mato

11/21/06 ビスタチオマン野田様より多額の寄付をいただいております。

厚く御礼申し上げます。まーとーブースタークラブ一同

感謝の意を示すために彼の写真を掲載します。ビスタチオマン野田様です。

10/04/06 まーとー芸術の秋キャンペーン

題名:星に願いを 〜今回こそ新たな人が参加したり、行方不明の人が戻ってくるように〜

08/27/06 チャンプはぎPFATSにも掲載される

以下のサイトを参照下さい。New Orleansの所。

http://www.pfats.com/charities/index.cfm

08/19/06 まーとーCooking UP

秋学期も目の前、忙しい中簡単でおいしく食べられる料理を載せていきます。
材料は全てアメリカで簡単に購入出来るものとします。皆様からの投稿をお待ちしております。

07/22/06 まーとークリスマス会ご報告。

クリスマス会の席で、レポートを書けと言われていたものの、まーとーのURLすら
知らない私に本当に書かせるつもりはないだろうと放置、そして半ば忘れかけて
早2週間。どうやら本当に書かなくてはいけなかったようで、ついにまーとーから
の刺客に私の隠れホームページも侵され、さすがに身の危険を感じ始めてきた
ので、筆を取ります。

よろしくお願いいたします。

『まーとー』…という団体が存在していることは小耳に挟んでおりましたが、まーとー
アラバマ州タスカルーサ支部所属のT氏はこれまで、決して参加如何に関して私に
話を持ちかけることはなく、蚊帳の外に置かれたまま月日が過ぎていきました。

2005年12月。
そんな『まーとー』の『−』の字も知らない私に、クリスマス兼忘年会参戦の話が
降ってきました。なにやら、TennesseeのNashvilleで?鍋で?帰国しない寂しげ
な日本人を集め?クリスマスイブの夜に?宴を開く!と。その翌日にはテニスなんか
もやっちゃうよ、と。

「行きたい…。鍋の鍋による鍋のための宴。。。しかし今まで放置され続け、苦汁
をなめた事もあったりなかったりする身としては、二つ返事で行くとは言えないわ…」

T氏:「どうする?行く?(どことなく高圧的)」
A氏:「…」
T氏:「…」
にらみ合いが続く。。。
A氏:「別に、、、行ってやってもいいんですけどね。」
T氏:「あそ。行くのね。」

この「行ってやってもいいわよ」って言ったのに、何かに負けたような後味。。。

と、なんやかんやありまして(←便利)、めでたく
“A氏、謎の集団『まーとー』隊員アジトに潜入のクリスマスの巻”

12月23日(潜入前日)
早くも浮き足立つ。
何から支度を始めてよいかわからず(ベッドに寝っころがってテレビを見ながら)ジタ
バタしていると、いつの間にか夜10時。とりあえず『サンタさんの帽子』は外しては
いけないと思い、夜のWal-martへ。同じくクリスマスというイベントに浮き足立って
しまって、結局前日の夜まで何もしていないアメリカ人でごった返していました。
サンタの帽子は見つけることが出来ず、長時間ドライブのために、レモン水とグミを
購入。結局サンタの帽子もごり押しで(しかも50%オフで)どうにか手に入れて、23日
の夜は更けていきました。

12月24日
早起き(いつも通り)失敗。
時間通りにやって来たミシシッピからのまーとー隊員。
「急がなくても大丈夫だよー。」というS氏の声が、遠くリビングの方から聞こえた
ような(聞こえなかったような)気がしたので、お言葉に甘えてみました。
とりあえず身支度が整ったところで、ご挨拶をしました。人見知り・内弁慶・視野が
狭いの三重苦を抱えたA氏、初対面K氏の顔は結局見ぬまましゅっぱーつ。
前日に悩みぬいて買ったグミですが、柔らかすぎる食感が、無類のグミ好きの私に
とっては「グミ失格!」だったので、ドライブにはお供させませんでした。あれを人様
の前に出したら、私の培ってきたグミ歴が疑われる恐れがあったので。

ドライブ中(約4時間半)、車中の会話はS氏とT氏の独壇場でした。K氏は全行程
を通してずーっと運転手をしてくれていたのですが、時折訪れる会話の盛り上がり
に対しても頑なに静寂を守っていたため、実は何度かこっそりとバイタルサイン、
確認しておきました。2人の会話が止めどなく続く中、なにやら周りの風景は景気が
良くなってきました。そうそこは、アラバマ・ミシシッピ人憧れの地、Nashville。
タスカルーサは、クリスマスという大イベントに街が潰されている感が漂っていたのに。。。
そこから4時間ほど走っただけのこの街は、クリスマスをも自分のモノにしちゃっているような、
「盆だって正月だっていくらでもきやがれー!」的な、そんな様子でキラキラと輝いておりました。

Nashvilleの繁栄を目の当たりにした小さな私達一行。ココまでの森に囲まれた道程を意気
揚々としゃべり通したS氏、T氏もビルに囲まれインターチェンジ満載の高速道路では
Clerksville方面の標識を探すことで会話もおぼつかない様子。どうにかこうにかClerksville
へ向かう線に乗り、周りの風景も崖と木に囲まれ始めると、S氏・T氏のトークも再稼動を始め、
その晩の就寝まで止むことは無く、また翌日も朝からフルパワーでありました。

クラークスビルに到着してからN氏宅へ向かう道のり、クリスマスだというのにあまりに街が
キラキラしていたもので、負けると分かっていても対抗意識を燃やし、「Wal-martならタスカ
ルーサにもありますよねー。」と言ってみると、やはり皆さん心は一つだったようで次々に
『これは我が街にもある』発言が飛び交いました。
しかしクラークスビルはそんなに甘くはありませんでした。私達の発言を封じ込める一撃。
『スタバにドライブスルー』。。。スターバックス路面店すらないアラバマ組が言葉を失うと、
S氏がそれに追い討ちをかける一言。

「えー。路面店ならハティスバーグにもあるよー。」

…衝撃的。タスカルーサ人にとっては大変衝撃的であります。

アパートのすぐ近くまで来ると、T氏が「Sさんが以前我が家に来た時みたいに電話無しで
いきなりドアをトントンしたいですねぇー。」

そして探す事10分弱(意外と短い)。
それらしきアパートを発見。いそいそと荷物を車から運び出し、全員玄関前にそろったところ
で「トントン」

「がちゃ」
「あ、どーもー。どうぞ上がってくださーい。」

全然びっくりしてなーい。
びっくりしない事に、むしろ私が軽くびっくり。

ガヤガヤと上がりこみ、鍋の支度を除き見て、どうやら大根が入るらしいことに沸き立ち、
「何か手伝うことありますかー?」とたずねてみたところ(心から聞きましたよ。)、「あ 、
じゃあ肉団子の作り方わかります?肉団子作ってください。」という指令が折りたため、
鍋のメインとも言うべき肉団子を作らせていただきました。

人様のお宅で肉団子を作る作業は、人見知りの内弁慶にとってはなかなか手が震える
ものでありました。私の手をさらに震えさせたのは、中華料理出身のK氏が私の背後で
手元を窺っている気配を漂わせていた事です。中華の厨房に居た方の前で、肉団子の
味付けをしコネコネする作業は、今回の旅において弱い自分を成長させた重要な一場面
であったと言えましょう。

ちなみに、弱い自分を成長させた一場面・その2は、翌日の朝にやってきました。
その夜、N氏(現女帝)のお隣で寝かせていただいた私。朝ふと目を覚ますと、隣のベッド
ではもうN氏が起きてパソコンをしています。
そこで一声、

「…おはようございますー。」
「あ、おはよー」

って返ってくると思いますよね、みなさん。
パソコンをしているN氏から返ってきたものは、

『無言』。

いや、この場合『無視』…??

(あれ、、??絶対起きてるはずなんだけどな。。。聞こえなかったかな。。。もう一回言って
みよう。)

A氏:「お、おはようござます。(さっきより3デシベル大きな声で。)」
N氏:「…2回言ったよね。」

言った!言いました。確かに私、2回言いました!

というわけでクリスマスの朝、一番初めに言われた言葉は、

「おはよう、眠れた?(微笑み)」

とかではなく、

「2回言ったよね。」

でありました。みなさん来年のクリスマスの朝には、ぜひ誰かに言ってみてください。
結構ショックですよ!

話に戻りますと、、、
N氏が買っておいてくださったカレーパンやアンパンを前に、S氏・T氏のトークは加速度を
上げていっていたようですが、そんな中、脇汗を必死に抑えながらお手伝いした鍋の支度
が整いました。

「わーいわーい」…

大根(私的メイン)入れ忘れてるよー!

そんな楽しい夜を過ごしましたとさ。

07/15/06 まーとー分科会 in アーカンソー

〜序章〜

「アパート契約してお金も払ったのに、手続き全くされていなくって今日もらえるはずの
鍵がもらえなくて家無き子なんです」

コンベンションがあけて数日、NC在住H大佐からの電話。

「またそんな体張ったネタかよっ!」と三村ばりの突込みは心の奥底にこっそりしまい
つつ、放った一言。

「じゃ、遊びに来たら、あーかんそーに」

社交辞令や口約束、ましてや軽いノリなんてものはこの男の辞書には無い

「あ、じゃあ本気で日程検討します」

ガチャッ、ツー、ツー、ツー、、、

えっ?まじで、、、?

アーカンソー、とはいえ自分のいるFayettevilleはNorthwest AR、州都のリトルロックに行くよりも
オクラホマのタルサにいくほうが大分近いところ。うん、限りなくオクラホマだね。H隊員の所からは
順調に行っても18時間の距離。

それと時を同じくして、TN在住(当時)、不二子大佐コンベンション後はがきんちょ
アメフトキャンプで作り笑いと阿修羅面怒りを使い分け、不二子ここにあり、をTNに刻み込んでいた
わけですがキャンプ後は特に予定もなく時間をもてあます、とのこと。

そこでまた無責任な自分は

「じゃ、あそびにきたら、あーかんそーに」

地図を確認するとNC、TN、ARはI40で横に一直線、最後にひょこんと北上(このちょこっとした540
での北上がうぜぇ:後日談byH&N)

「あ、じゃあ丁度中間地点くらいだし、休んでもらうついでにひろってもらおう」

その旨をH大佐に伝えると快諾。

しかし日程調整がなかなかうまくいかず当初の予定7月最初の土日を迎えようとしていた木曜日
の朝9時、

「えっと、とりあえず明日(金曜日)の昼頃NC出て、TNに夜10時ごろついて、そこで不二子大佐を
ひろってARにつくのは多分土曜の朝6時ごろなんで、心臓叩いて準備しておいてください」

てっきり中間地点TNで休憩してくるものだと思っていたので、休憩をすすめる自分に彼は言いました。

「何言ってんですか?一日は24時間あるんですよ?」

そんなプランをよく不二子大佐が承諾したなぁとおもったらさすがにかなり渋った様子。しかもそん
だけ時間かけてARなんてなんもないとこまでくるにもかかわらず、日曜に帰ろうとしていたH大佐。

この男、普通のものさしでは計れない。

NoといったらNo!、もしくはダメ。ゼッタイ。(写真参照)を座右の銘にしている
不二子大佐を「うん」といわせるためにめくるめく妥協と戦略を行使した模様。

何気ない一言から陸路20時間の旅は始まろうとしていた。

<序章完>


7月1日 〜酒と泪と男と女〜

「俺、今までの自分を変えたいんだ」

H大佐は物静かにうつむき加減でポツリと漏らした
いくつもの修羅場を潜り抜けてきたこの男がそんなことを言うなんて、、、
言葉にならない衝撃が自分の中を走り抜ける。

しかしその言葉とは裏腹にその目は死んでいない。前をしっかり見据えて奴はこう続けた。

「ネタばかりの人生なんて、もういやだっ。今回は何も起こさずふつーに
あーかんそーに行きたいのっ!」

という宣言どおり特にタイヤが吹っ飛んだり、気付いたら上半身しかない
おばあちゃんが高速道路を併走していたりとか、そういったことは特に無いまま、
「芸人としてそれでいいの?一応確認のために聞くけど」というオーディエンス
の言葉は無視し、無事TNに到着し、すでにテンション上がり目の不二子大佐を確保。

途中、あーかんそーから「運転は順調?大丈夫?」というメッセージを双方に時間を変えて送信するも
ことごとく無視。しばらくして電話。

「えっと、、、とりあえず遠すぎです。もうすこしARを東に寄せてください。しかもメールなんて気付かないです」

この男、本気だ。

ローキックの一発、二発は覚悟しておかなければいけないのかもしれない、、、

数時間後、ガスが足りなくなって微妙に危なかったという(彼等のレベルではトラブルとよびもしない)、こと
くらいで無事到着。

飛び跳ねてはしゃぐほど嬉しいのに、素直になれないあーかんそー在住べぇは-

満面の笑みで「何しに来たの?」

それをきいた不二子大佐。

「もういい、帰る。マジむかついた」

ごめんなさい、、、
許していただけるものなら許していただきたい、、、
 

この時点ですでにこれからの僕達の主従関係が決まっていたのかもしれません

部屋に案内し、ルームメート爽やか好青年Y君とその彼女Fちゃんを紹介。

さすがに長旅でお疲れ、ということなのでお休みいただこうと寝床を準備している時に振り返ると奴はいた。

     
                         
     
あちょー

寝る、っていってんのにムエタイパンツと、試合の前に踊る時頭にかぶる奴(モンコン)装備し、ワイクルー
(試合前に神にささげる踊り)しちゃうH大佐。一通り披露してくれた後疲労により、ベットに倒れるも、5分後

「眠れんっ!」

どうやら戦闘モードに入ってしまったために、眠気もどっかにいったらしいです。
戦うために生まれてきた男、とはまさに彼のこと。んなわけでW杯観戦。

2試合目のブラジル対フランス戦の頃には不二子大佐も活動開始。そしてH大佐が、タイ直伝グリーンカレー
を夕食のために仕込み始める。自分と不二子大佐は不二子大佐ドライビングでビール調達すべく近所の酒屋へ。

「10秒前には方向指示してね」

という不二子大佐からの指令があったのでかなり早い段階で

「あ、あの車が出てきたところを左にお願いします」

ぶ〜ん
通過、、、

「あっ!あの、、、えっといまのところ、、、だったんですけど、、、自分言ったん、、、」

                    

「ごめんなさいっ!自分が悪かったです、、、」

そんなやり取りありつつも、無事、和やかに、あくまで平和にビール調達。

家に帰り扉をあ けると、そこは いっつ あ たい わーるど

もんのすごいグリーンカレーの良いにおい、
そしてさすが本場のスパイス、目にしみる

夕飯の下準備が終わった所で、ジブリ作品は千と千尋以外みたことがない、という事前情報を
仕入れた不二子大佐は「ハウルの動く城」を持参。もちろん「ジブリ見てない奴が教員やるな」
みたいなこともH大佐からいわれながら、泪で滲む視界と戦いながら鑑賞。感想は「駿すげぇ」。
これはちゃんとみなきゃいけないな、とおもいました。

そうこうするうちに、H大佐作成グリーンカレー、べぇ作成から揚げ、不二子大佐作成サラダを
軸にY君、Fちゃんとで夕飯、晩酌開始。晩酌の頃からはY君と共に今年からあーかんそーで
ATを勉強するT君も参加。

お酒は先ほど購入したビールと、H大佐持参の濁り酒と梅酒。おいしいご飯とおいしいお酒、
そして愉快な会話。素敵な時間のはじまりです。

お酒が適度に入ってきた頃、不二子大佐がポツリと一言。

「テープ巻きたい」

???

うん、みんな一瞬固まったね。

そんなサプライズにも対応しなければホストの名に恥じる(つーか、ARにおいで、って言った
くせにノープラン、ホストの癖に)ということで、ダッシュでクローゼットをあさり、たまたま
シーズン終了後放置してあったキットのなかからテープを確保。

すると違いのわかる女、不二子はこう言い放った。

「じぇーじぇー(Johnson &Johnson)がいい」

かろうじて1本JJ発見。あぶねぇ、あぶねぇ、、、

わいわいきゃっきゃいいながら、セクシーコマンドー代表不二子、タイ代表H, 猪代表べぇが各々
のまき方を披露。今思うとこれが唯一トレーナーっぽい会話した一瞬だったかも。テープを巻いて
いる時3人とも微妙に緊張して手が震えていたことは内緒です。

そんな酔っ払い年寄り上3人組を若者達はどういった目で見ていたのでしょう。

濁り酒の一升瓶が半分くらいになる頃には不二子大佐は、女帝に即位。
H大佐、べぇを軽々と踏み越えて、帝位に君臨。


彼女はソファーに、我々は自然と、あくまで自然に、彼女のかもし出す雰囲気で床に
正座している、という図式が完成。ここら辺に関しては本人からの反論、H君からのフォローアップ
をお願いしたい所です。

そんな感じで夜は更けて、初日は終了と相成りました。

<7月1日完>

7月2日 〜何から伝えればいいのか、、、〜

戦う男の朝は早い。

時計が7時を指す前にH大佐は起床。べぇが持つPS2ソフトに目を配り

「ウイイレ(ウイニングイレブン)あるじゃないっすか。対戦しましょう」

 


コントローラーが一つしかなくても無問題。だってぼくらには「野菜から弾丸まで」のキャッチ
フレーズでおなじみのウォルマートがついている!(ちなみにウォルマートはあーかんそー
が本家です)

ということで家のほかの人達は安らかな眠りについている7時30分頃ウォルマートにむかい、
コントローラーゲット。えぇ、30に近づいてきていますが、こんなことは普通にやります。

負けられない戦いがある

かけるものは各々のプライド。

他の住民は眠っているって言うのに、

「うぉっ!!」
「がぁっ!」
「な〜か〜や〜ま〜っ!!」

と叫ぶべぇ。 いい迷惑です。

そんな声で起きてきた不二子大佐もY君も呆れ顔。うん、こんな大人になっちゃいけないね。

一通りサッカーゲームでふたりだけ盛り上がったあとは、日本語で言うと、「東京ラブストーリー
(香港土産VCD,しかも最終回なし)、中国語で言うと「東京愛情故事」、そして女帝不二子に
言わせると「東京愛情事故」。

     
か〜んち

恋愛とは事故のようなもの、愛ゆえに人は苦しまねばならぬ、ということみたいです。
姉さん深いです。

そしてその過去には一体何が、、、この女、底が知れません。

 


カンチ、リカ、さとみ、三上のどろどろ、なよなよした関係に、女帝からは

「そんなんだからだめなんだよ」
「そういうこというなよ」

とダメ出しの嵐。え〜勉強になります。

そして主題歌、「Love storyは突然に」が流れている時に、H大佐とべぇが魂からつながっている
ことがわかるエピソードが。

主題歌を無言で聞き入ったわけですが、

♪あの日 あの時 あの場所で 君に出会わなかったら ぼく〜ら〜は いつまでも
 見知らぬ二人のままっ♪

の最後の「ままっ♪」のところだけ、局所的に、何の打ち合わせもサインもないのに、H大佐と
べぇが口に出してはもっちゃった。。。

すかさず女帝不二子から突っ込まれ、なんてゆーか、そのー、素だったからすごく恥ずかしかった、、、

どろどろした関係がつきすすむ、第3話を見終わった頃に中だるみ感もあったので、家主べぇの
身勝手な意見「ばすけっとをしにいこう」ということで、一番暑い時間の午後3時に屋外バスケット
コートへ。

H大佐はこんな時でもスポーツサンダル。運動靴なんて半端なものはいりません。
この人のすごい所はこれですんごく早くうごけちゃうんです。
(編集者注:チャンプはサウスカロライナにてスポーツサンダルでゴルフしてました。滑るよ、靴貸
そうか?という申し出も「いやっ、これで大丈夫なんですよ」。)

最初は2対2とかやったけれど、体力のない自分を筆頭に早々にバテ、あとはうだうだシュー
ティングしたり、を女帝不二子による庶民のシュート講座。

その後、わがルームメート、バスケットマンY君はごっついアメリカ人
たちとのピックアップゲームに参加。年寄り3人は座って応援。

いやぁ、若いって素晴らしい。


 

家に戻るとすすんで台所に立つ不二子女史。手際よく料理をすすめていきます。
本日の献立は、

めちゃめちゃおいしかったです。もうこんな感じ。

夕食後は再び東京ラブストーリーのつづきを鑑賞。残り10話くらいを一晩で見ようとする
仰天プラン。でもいったことはやる、有言実行。

途中くじけそうになった時も、切り込み隊長H大佐は妥協を許さず突き進みます。

さえる女帝不二子のくりてぃーく
負けじと答える男の中の男H大佐

「そんなのは男じゃねぇ!」
「なんではっきりいわねーんだ!」
「お前がはっきりしないからいけないんだっ!」

数々の男らしい発言。

ところどころでお互いがお互いに突っ込んだりしていましたが、各々の恋愛体験を背景
に男とは、女とは、でうきゃうきゃ盛り上がりました。

明日再び長距離ドライブだというのに、結局最後の回を見終わったときは午前3時ごろ。
もちろんルームメートとその彼女は12時とか1時とかに部屋に戻ってます。うん、だって
次の日授業だもんね。俺もだけど。

明日はNC,TNに戻る日。施設見学をちょこっとして、その足で帰ろうとなったので、一応
の予定を設定。

不二子大佐「明日何時?」
H大佐  「うーん、何時にしようか。運転があるから早めに、、、」
不二子大佐「まぁ、8時前に起きるつもりはまったくないんですけどね」
H大佐  「あ、、、うん、じゃあそんな感じで」

2日目の夜は幕を閉じました。

<7月2日完>

7月3日〜さよなら三角またきて四角〜

日差しが良すぎる部屋だからなのか、それともこれが生活スタイルなのか、7時ごろには
再び起床。朝ごはんは昨日の残り物と、アメリカに来てから2年がすぎて初めて、不肖べぇ
が作成したじゃがいもとたまねぎのお味噌汁、えぇ、ぶっつけ本番ですがなにか?

不二子大佐はまだ部屋から出てこなかったので、先にH大佐と朝食を済ませて本日の
予定をたてる。

べぇ「さすがに疲れてもいるだろうから今回はケンタッキーでちょっと休憩させてもらったら?」

H「いや、でもそれだとネタ的においしくないじゃないですか。なんかそういうことすると魂が
薄れるって言うか、僕が僕じゃなくなる気がするんです」

「おまえはなにをいっているんだ???」

凡人には理解できない域で暮らすのが天才たるゆえんか。
その話を聞いた不二子大佐は
「あー、なんか私と同じ匂いがする」

僕は凡人のままでいい、と心におもった瞬間でした。

そして不二子大佐も朝ごはん。座ってお箸を手にするとポツリと

「なんか、、、罰ゲームみたいだね。。。」

え?自分の作った料理は罰ゲームですか、、、
それはいくらなんでも、、、自分も傷つきます、、、

不二子大佐いわく、彼女がすわった後ろにH大佐と自分が陣取っていたので、じっと後ろから
見つめられている様子を「罰ゲーム」と表現したようです。あーよかった。
ほんとかどうかはしらないけれどそういうことにしておきます。

不二子大佐が荷物を片付けている間、我々は再びウイイレ。
同じ手段が彼に通じるわけもなくあっさり撃沈。家を後にして大学内を案内。

夏のこの時期ということもあり、鍵が閉まっていて案内できない施設もあったのですが、それ
でも大体メインの所は案内することはでき、やはりトレーナー、ということか楽しんでくれました。
そして野球を担当していた二人らしく、野球場が一番気に入った様子。

そして駐車場でお別れ。

楽しかった時間もここでおしまい。
あとは辛く、長いドライブの始まり。

握手をして、今後の検討を祈りあい彼らはあーかんそーを旅立っていきました。

腹の底から笑いあった3日間。
本当に、本当に、本当に楽しかった3日間でした。
ありがとう。

<7月3日完>

〜エピローグ〜

二人を見送った後、授業まで少し時間があったのでいったん家に戻り、ドアを開けた瞬間、
たとえようのない空虚感と寂しさに襲われました。

静けさを取り戻した部屋。
あれ?この部屋ってこんなに広かったっけ?
世界中の水不足が解消されるくらい涙を流したことは言うまでもありません。

7月3日 夜9時過ぎ 不二子大佐無事新居ケンタッキーに到着報告。
7月3日 朝10時頃 H大佐、途中危ない場面はあったけれどどうにかNC到着報告。

以上、あーかんそーより報告を終わります。

べぇ

おまけ 「バーバー不二子」

罰ゲームじゃありません、なにかしでかしたわけでもありません。
H大佐自らリクエストのリクエストです。

<完>

06/27/06 べぇ氏のDWIレポート

ここに書き込むほどのことかどうかはよーわからんのですが、まぁ皆さんの今後の参考に、ということで。

なんかもやもやしたところはありますが、僕はなんだかんだで元気です、ってことを最初に言っておきます。

先週の月曜日に99%くらい勝てる状況(血中アルコール濃度が逮捕基準値未満、大雨、暗闇、
嘘ばっかりのポリスレポートなどなどなどなど)だったにもかかわらず、
自信満々な弁護士*写真はあくまでイメージ(一応このあ たりでは高名な人だそうで、
戦績も立派)の

「うっそ〜ん」

な手法により有罪判決を受けたわけですが、まーいろいろとありますが、とりあえず罰則として自分が
あとしなければいけないことは2ヶ月の免停処分。(罰金やその他もろもろあるのですが、保釈金を
はらっているのでそこから差し引かれるため、更に払う必要はなし)

大した処分ではないので、後はImmigration statusにどれほどの影響を及ぼすのか、というところで、
控訴するかどうかを30日以内(6/26日の時点で残り23日)に決めなければいけない状況。

                          

ただ控訴するには時間とお金(3ヶ月くらい・2500−5000ドル)がかかるのはもちろんですが、
何よりも負けた場合罰則が厳しくなる可能性がある、とのこと。

 

どぼじて、、、どぼじて、、、


基本的にDWI初犯は「Jailに30日から1年」という基準だそうです。ただし、拘束後あ まりの問題行動を
起こしたりしない限り一晩留置場ですごすことが「1日」とみなされ、残りの29日はSuspendされる、という形。
じぶんも12時間ほど拘束されたのでそれでOK。

ただし、控訴した場合Supreme courtの裁判官はそういったマイナーなことは
知らない人が多いのが実情だそうで、もしかしたら

「うーん、じゃあJailにあと10日入っていてもらいましょう。
最低30日なんだから君ラッキーだね、僕に感謝してちょ」

なんていうケースも信じられませんがありうるらしいです。

そうなった場合、長期で学校を欠席することになるのでFビザにも影響がでて、帰国しなければならないという
状況もうまれうるとか。

知り合いの元弁護士の方にも相談をしたのですが、彼女もそういったことや、控訴しての勝率は格段に
下がるということ、現在の罰則も厳しいものではないので控訴することはすすめていませんでした。

Immigrant attorneyを探している所で、人づてに実績のある人を聞いているなか、とあ る日本の移民弁護士
事務所にメールを出して、きいてみた所、今後においては

「いかなる微罪による逮捕、犯罪歴においても今後アメリカに
入国するためにはビザを取得しなければいけない」

 

ど〜んっ!!

 

 


とのこと。特にテロ以降厳しくなっているのは確かなようです。

ちゅーことは、今後自分はVisa-waiverを使っての90日以内の観光もできない、
ということです。

まぁ、弁護士事務所は万が一のことがあってはいけないので、最悪のトラブル
(入国拒否や強制送還)などを避けるための措置を言っているのは当然だとは
思いますが。

卒業後、こちらで就職を希望して事がとんとんと進み、Hビザを申請するようなことになった場合も
「不可能ではない」というどっちつかずのI want you的なお答え。ま、そりゃそうか。

っつーわけで、お酒を飲んでいた自分もわるいっちゃーわるいんですが、人のせいで的な
側面がないわけではなく、しかもその相手が嫁や恋人、親友というのならとにもかくにも、
今後一生あわないような奴らのせいでこうなっているというのが

という感じです。
しかもあいつら何のサポートもしてくれないし。

どなたか良い移民弁護士知っていたら教えてください。

知っている方も多いと思いますが、ビザに関するものはFederal lawなので、必ずしも同じ地域や州の
弁護士さんでなくてもよいそうです。やっぱり大都市の方が色々と経験もあるだろう、とのことでした。
うちのように田舎でメキシカンが多い地域はとりあえずお金になるから飛びついてやっている人も
多いので注意が必要、とのこと。

今回思ったことは、ここはアメリカ。びっくりするようなことが何でもおこりうるということ。

そしていくら戦績がよい弁護士でもやっぱり親身になってくれるかくれないか、っていうのは大きい、
というのが実感です。なにもわからず波に飲み込まれてしまったことが悔やまれます。
言ってもしょうがない結果論だけど。

皆さんが今後、犯罪に巻き込まれて弁護士を依頼する、などというケースが無いことを祈りますが、
万が一そういった場面に遭遇した場合、戦績と同じくらいいかに親身になってくれるか、というのを
考慮したほうがいいと自分は思うので、参考までに。

 

 

年末かえるつもりだったのにこれでおあずけです。

 

 

 

とまぁこんなところでしょうか。

気分はこんな感じ。

                    

             だっふんだぁ

DWI〜その後〜、ということでお届けしました。そのうちDWI〜始まりは突然〜もお届けしようと
思います、前後しちゃいますけどね。

べぇ

06/22/06 まーとー総会@アトランタ、レポート

まーとーテキサス支部Q大佐がアトランタで行われたまーとー総会の様子をレポートしてくれました。

2006年のコンベンションはアトランタ。NATAのコンベンション。。。それはよく学び、よく遊び、普段の
ストレスをぶっ飛ばすための貴重な聖地。そんな聖地でとあるAT集団が何かを企んでいた。。。
今年のまーとーはやったるでー!っと言わんばかりの勢いを胸に秘め、16日の金曜日に何かが
起ころうとしていた!

          キャー!

6/15日木曜日の午後、今までその存在はまーとーMS州赤首隊名誉軍人であるシュウ大佐の直の
隊員として知られていたにもかかわらず、まーとーには全く顔を出す気配すら見せなかった変な2人
がミシシッピから到着したとの情報をキャッチ。その時点でTX州隊大佐である自分とAS州猪隊の
べぇ大佐が一緒にいたので、レジストの前で彼らと落ち合うことになりました。自分にとってこの2人
は全く謎な存在だったので、

会った瞬間に殴られるんじゃないか?

とちょっと心配だったんですが、なんと彼らの奇襲攻撃はご丁寧な自己紹介でした。彼らの名前は
カズー1等兵にゆたか2等兵で、もんのすごい礼儀正しい隊員でびっくりしました。うーん。。。これは
奴らの陽動作戦か?油断させといて後でドカーンか?まーそれはえーとして、この2人の隊員はこの
時点で今回のまーとー総会には欠かせない存在になっていたのです。その後レジストで働いていた
TN州お色気隊不二子大佐にも再会し、明日の予定をその場で決め、その場を去りました。

さかのぼる事まーとー総会直前。幼児が思いついたかのように「テールゲートで日本の焼肉がしたい
でちゅ。」と言う案が出た時、自分はまだMS州に滞在しているゆたか隊員に電話をし、グリルを持って
るか確認しました。色々とあたってもらったり、まだ日本に居たシュウ大佐の家も無断で(本人談:これ本当)
家宅捜査してもらったんですが見つからなかったので、結局は安いのを購入して更に炭やその他
グリルに必要な物品を調達してもらうことを快く承諾してもらいました。

この時点で彼らは上等兵に昇格です。

事前にインターネットでアトランタに大きな韓国のスーパーがあるという情報をゲット。だからグリルさえ
なんとかなれば後は焼くだけだと思っていました。しかしアトランタの高速や道路がややこしそうな感じで、
「こりゃー道に迷うだろうな。。」っと思っていたそんな矢先に朗報が飛び込んできました。なんとゆたか
上等兵曰く、彼らの潜伏先はGA州アトランタ市韓国キムチ支部の友達の家との事!しかも彼は日本人
が好きで、まーとー総会に協力したいと言ってくれたのです!これで道案内をしてくれる隊員が参加し、
時間配分がかなり読みやすくなりました。あーなんてラッキー!てことで

この時点で彼らは軍曹に昇格です。

そして金曜日の午後から食料配達の為、ゆたか軍曹の運転、カズー軍曹のナビ、焼肉道に詳しいべぇ
大佐兼焼肉評論家と自分らでその韓国キムチ支部のG大将をお迎えに上がりました。道中、みんなで
まーとー談義に花を咲かせていたんですが、普段なぜか顔を出さない2人はどうやら準会員
(HPのABOUT参照)との事。しかしゆたか軍曹はずーっと「僕は非会員だったんですー。非会員だった
んですー。」と何度も言っていたので、「じゃなくて準会員だよ」って突っ込みたくてしょうがあ りませんで
した。でもそんな細かい事にこだわって空気を淀ますのもどうかと思い、そこら辺は流していました。
しかしこれを機に正会員になってくれると約束してくれたので、このレポートがアップされてるころには
掲示板あたりに名前がでていると思われます。(しかし6/22夜現在、掲示板にて消息不明)

そして小一時間ほどでG大将の基地についたのですが、ぶっちゃけてここでいいます。

自分は正直、カズー軍曹とゆたか軍曹はよくMS州からアトランタまで辿り着けたなって思いました。

あえて今後の為にアドバイスをするならば、君達はもうちょっと感覚よりも看板を信じて運転した方がいい
かと思われます。(Y少佐談:あれはK少佐が方向音痴なだけです。ぼくは大丈夫です。)

しかしこの時点で彼らは何とかして着けてくれたので、少尉に昇格です。

G大将は大きな一軒家の1階の部分を借りて生活をされているようです。一体どんな人なんだろうとべぇ
大佐とちょとドキドキしていたんですが、ドアからでてきたG大将は、見た目もめちゃめちゃいい人そうな
感じでした。いい人のオーラとはあーゆーのを言うのでしょう。とりあえず簡単に挨拶をさせてもらい、
一行はG大将の車との2台で買出しに向かいました。G大将の車の左後輪がスペアタイヤだったのが
ちょっとだけ気になりましたが、そんな事はもういいんです。ここから先は現地の道案内をしてくれるん
ですから。

そこからはスムーズに事は進み、みんなでワイワイと買出しをし、道中もべぇ大佐の漫画と駄菓子談義
に花を咲かせ、球場にあっさりと到着。時間も完璧な予定どうり!ちなみにその韓国のマーケットは
Super H Martといい、一瞬「あ、ウォOマートだ」っと勘違いしそうなロゴだったんですが、めちゃくちゃ
きれいで、しかもでかかったです。品数も日本食も豊富に揃えてて、すごかったです。カリフォルニアに
ある、みつ〜、、、なんちゃらってとこみたいな感じでした。

とりあえずBBQの戦場も決まり、そこからはもう準備を進めるのみです。G大将とカズー軍曹(編集者注:
この時点で少尉に昇格しているはず)とゆたか軍曹(編集者注:以下同文)はグリルを組み立て、自分は
当日チケットを購入しに行き、べぇ大佐は人員派遣隊に場所を教えると言った連携プレイもばっちり決まり、
とりあずあとは火をつけて焼くだけという所で一息つこうってことでいきなり乾杯!この時点でみんな汗だく
になっていたので、あの一口の美味さは今でも忘れられません。

ちょっと一息ついて、いい時間になったのでさー今から火をつけましょうってところでドキッとするような
問題が発生。なぜならいくら頑張っても火がなっかなかつかないんです。「うわっ、ここまでやって火が
つきませんなんてシャレになってへんぞっ」っと思いましたが、そんな時にまたもやラッキーが。。
たまたま隣でテールゲートしていたアメリカ人の人が見かねて、「これいいやつだから分けて上げる。」と
言ってくれ、最初は断てったんですが、最終的に少し分けてもらいました。そうして火種を無事に確保し、
後は自分らの炭を置いてなんとかしたのです。

てことでグリル班の仕事を成功させたこの時点でカズー軍曹とゆたか軍曹は少佐に昇格です。

その後は不二子大佐、NC州のーんかーい隊のはぎ大佐としの大佐、I州デート隊(田原俊彦参照。あ えて
Aをはずしました。)のしげ大佐の人員派遣係の到着とコンベンションに参加すらしていないのに、このため
だけに来てくれるAL州酒豪隊のテツ大佐とそのお連れさんを待つはずだったんですが、大渋滞に巻き込まれ、
開始時間は大幅に遅れてしまいました。これは完全に自分の戦略ミスと言わざるをえないと思われます。
しかしそれでも十分に時間、食いもん、ビールはそれなりにあったので、まーそれはそのーあれっちゅーこと
でお許し頂きたい。

総会はまーとー以外にもたくさんの方に参加していただき、ワイワイと時を過ごし、最後にNY州行きたいか?隊
(ウルトラクイズ参照)のしらとり大佐もMACのミーティングから駆けつけて来てくれ、弾丸(びーる)が足りなく
なってたので、しらとり大佐から寄付をしてもらい弾丸補給に成功しました。さすが先輩フルタイム。でも今思えば、
あれは駆けつけ3杯を逃れるための戦略だったのかな?ってしげ大佐が言ってましたよ。
(言ってねーっつーの!byしげ)

その後は前売りチケット隊と当日チケット隊に別れ、野球観戦。みんなの目は真っ先にフィールドかと思いきや、
まず始めにベンチのスポーツドリンクの銘柄をチェックしていたのはさすがだと思ったと同時に「こりゃ重症だな。。」
とも思いました。この野球観戦に関しては前売りチケットをある程度買っておいて正解だったと思います。
さすが不二子大佐です。そもそもの今回の総会の発端は不二子大佐の野球観戦案から始まったものです。
それがなければ総会は今年もこじんまりとしていた可能性はかなりあると思われます。おそらくCNNタワー内の
FUJIで去年同様うさんくさい日本食を食べて、そのままバーに流れ込むみたいな感じだったんじゃないでしょうか?
雲泥の差ってこーゆーことだなこりゃ。とりあえず試合後は盛大な花火を観て、不二子大佐主導の野球観戦は
見事に成功を収めたのです。

その後はバーで飲んでました。反省としては終わり方が中途半端だったことだと思われます。あ そこでまた
駐車場に戻ってテールゲートしてりゃーよかったんじゃないかと今になって思います。そこら辺はまーねっ、
あれっちゅーことで。しかし、今回は皆さん大活躍だったと思います。それぞれのパートを繋ぎ合わせて総会
がなりたったのは、まーとーの不断のコミュニケーションがあったからこそだと確信します。特に今回は突発的
な申し出に嫌な顔ひとつせず、快く仕事を引き受けてくれたグリル班プラス車両班のカズー大佐とゆたか大佐、
(編集者注:ともにいつ大佐に昇格したんだろう?)更にその友人のG大将には多大なご協力を承りました。
あと、まーとーを知らなかった方達も今回参加していただき、誠にありがとうございました。楽しんで頂けたならば
幸いです。今後ともよろしくお願いします。

06/13/06 岩鉄・M・熊虎店長からのお知らせ

お客様各位。

昨晩の皆様のご来店喜んでありがとうございます。月一定例会も随分と定着してきた感じが
しますが、これも皆様の普段のご協力があってこそです。今後とも喜んで宜しくお願いします。

P.S 話は変わりますが、つけが随分たまってます。次回のご来店の際は必ずお支払いください。

04/16/06 2006 SEATA Student Symposium Written Mock Exam

Kazoo氏の協力により去る2月にアトランタで開催されたSEATA Student Symposiumでの
Mock Written ExamをOnline Seminarに掲載しました。自分の力試し、BOC前の試験勉強
などにお使い下さい。なお回答に間違いがあればご報告いただけると幸いです。

03/31/06 まーとー、春、始める

新加入まーとー会員が激減している現状を見据え、
まーとー春のイメージアップキャンペーンを実施する
ことにしました。6月のNATA総会での会員勧誘の促進
に向けて、まーとーも少しずつ変わっていきます。

ということでテキサス州在住のもろQ氏よりまずは
イメージ画を頂戴したので掲載します。(左図)

 

 

 

03/12/06 これからH-1Bを申請するための留意点

US Frontline March 2nd号に4/1より受け付けが始まる2006年10月1日から2007年9月30日の間に
就労開始となるH-1Bビザの申請に関する記事があったので紹介します。 (Matt in Lawにて)

03/10/06 Mathletic Training Month

3月はNational Athletic Training Monthでアスレティックトレーニング認知・
普及のためにいろいろと活動を起こそうという月です。そこでNATA公認下部
組織であるまーとーとしてもこのキャンペーンに参加することに決定致しました。

この時期屋外でATとして働いている人は怪我の対処に追われる中、様々な
生き物や植物が活発になりだし、それに伴う障害とも仕事としてこなさないと
いけない時期になってきています。ファイヤーアントや蜘蛛をはじめとした虫刺
されや花粉によるアレルギーがチラホラと出だしているとかいないとか?

しかも多くの学校ではスプリングブレイクが目前、パーティだらけで人間同士の
スキンシップの方もかなり盛んになる時期だとか???

とりあえずこの期を機会にファイヤーアント撲滅キャンペーンを筆頭に、虫刺され
や花粉アレルギー、ついでにStaph Infectionを初めとした皮膚感染の予防やそれぞれの症状の分別、
更にそれの対処法を再度おさらいしましょう。自分で復習するのもよし、掲示板で情報交換するのもよし
です。

02/18/06 Qの個展

留学のなんかこう思い出を書にこめてみました。
ファイルはここ (読み込みに多少時間がかかります)。

01/25/06 日本でのH-1B申請体験談

もろQ特派員による日本のアメリカ大使館でのH-1B申請体験談です。

ビザ、それはその国に外国人として入国するためには欠かせない必須アイテム。そして
自分の持っていたビザは1年以上も前にとっくに切れている。。。てことで今回の帰国に
あたり、自分は日本でビザの申請をしなくてはいけませんでした。

帰ると決まった時から日本のアメリカ領事館の HPを検索し、H-1Bに必要な申請書類を
収集し始めました。ちなみにここにいけば分かります。

http://japan.usembassy.gov/j/visa/tvisaj-nivapply.html

面接のアポイントも事前に取らなくてはならず、それもこのサイトで簡単に取れます。ただし
早め早めでないと偉い目に会う可能性がありますのであしからず。

自分の申請予約は12月12日の午前10:30からでした。それまでに申請料のお金を銀行で
振り込まなければいけなかったのですが、それを含めても自分の実家から1時間もあ れば
余裕と見て9:30出発を目標にすれば大丈夫だろうと思い、準備をしていました。しかし、
出発間際で思いがけないハプニングに遭遇したのです。

出かける前に中途半端に伸びた髭を剃ろうと思って親父の電気カミソリを借りたのですが、
(借りようと思って自分の持ってこなかった。)皮膚に触れた瞬間に衝撃的な痛みが全身を
走ったのです。なんとそのボケカミソリは髭を強引に引っ張るだけで全く剃ろうとしません。
未だに納得がいかないのですが、どうやらそれは肌に合わなかったようです。

「くそっ、なんでやねん!」とうなだれましたが、それをあざ笑うかのように髭は皮膚にへばり
ついています。それでも強引に少し剃ってしまい、このまま出かけると帰国の初日にえらい
恥をかくことになるのでそれだけはできないと、かなりパニクりました。こんな予想外の展開
にアタフタしているうちにも時間は無情にも過ぎていきます。

どうする?どうする俺!こんなんでも出かけられるものなのか?

結局おかんのアイデアで2階に住んでいる兄貴の髭剃りを借りるという名案をもらい、ことなき
を得たのですがその時点で既に9:45ぐらいになっていました。自分はやばいっと思い走って
駅に向かい、電車で梅田まで行き、領事館の近くの銀行でお金を振り込み走っていってなん
とか時間通りに到着したのです。駅まで走ったので、あのクソ寒い中電車の中で自分ひとり
汗まみれになってしました。皆さん、こういう予想外のハプニングはいつ起きるか分かりません。
大事な用がある時は余裕を持って行動しましょう。

領事館に着いて部屋に入ったとき、自分はダッフンダ!ちょっとびっくらこいてしまいました。
なぜならそこには100名ぐらいの人でごった返していたからです。自分は1週間ぐらいで取れ
ると思っていたのですが、こんなに人が毎日来ているとすると時間的にかなりかかるのでは
と危惧してしまいました。

とりあえず気を取り直して受け付けをすまそうとカウンターに行ったのですが、そこのおばはん
の態度がこれまたでかいのなんのって。「申請書類を出してください」と言われたので、その
まま全部出したら「いや、そうじゃないでしょ?ちゃんと出してちょうだい」っと言われたのです。
自分はわけが分からず、「ここのHPを見て集めた書類なんですけど。。」っと言うとそのおば
はんはキッっと睨んで「申請書類はこれとこれとこれ」と特定して出すように言われました。
そしてそのおばはんは何度もため息をついていやいや書類をまとめ、やっと受付が終了したの
です。

結局HPが要求している書類のいくらかは「念のため」の書類だったのです。後でもう一度
HPを見直すと、なんとなーく分からいでもなかったのですが、あのおばはんを会心の笑みで
満足させるほどにするにはもう少し説明がいるような気もします。ちなみにこの横柄な態度は
そのおばはんだけでなく、そこに居る職員全員がそんな感じでした。周りの人達もこの対応
にかなり怒り心頭で、異様なムードが漂っていました。

受付が終わり、面接の待ち時間の間に何人かの人が呼ばれてはビザが出ないからと面接
前に追い返された人がいました。そこのクソ職員はそんな会話もみんなの前で大声で堂々
と怒りをあおるように話していました。こいつらには思いやりとか常識はないのだろうかと疑う
一面でした。小さな声で普通の言い方すればいいのに。。。

そんな中、1時間ほどで自分の面接の番が来ました。面接官は日本語ベラベラのアメリカ人で、
カウンター越しの立ちながらの面接でした。そして面接官は開口一番、「ワーオ。。よくビザが
取れたね?その学校日本人学校なの?」っと言ってきました。自分は「いやっ、違いますが。。
それでも一応ライセンスを持ってるので働く権利はありましたし。。。とりあえず雇われました。」
っと言うと、呆れ果てた感じで首を横に振り、「ビザは最長6年までだよ。分かってるね?」っ
と6年経ったらもう駄目だよ見たいな口調でなんとかビザを出していただきました。

面接は結局これでおしまい。軽〜い毒吐かれて終わってしまいました。「ていうかこれって面接?
なんの意味があんの?」と思いましたが、それでも最後の締めくくりとして

「ありがとうございましたっ!!」

っと元気よく言ってその場を去った自分はクソ野郎だと思いました。

そしてビザは1週間以内で着くとありましたが、結局3日ぐらいで家に送られてきました。はっきり
言ってすっきりしないやりとりでしたが、対応はうわさ通りに早かったので良かったです。人と関
わる仕事なのに人間関係を一切無視し、目の前に出された書類を完璧に処理さえすれば給料が
貰える仕事もあるんだなと改めて実感したビザ申請でした。でもこれって場所や時と場合によって
違いがあるのは言うまでもありません。あしからず。

01/15/06 SEATAのサイトより

2005年度のNATA第9支部SEATAの学生シンポジウムにおいてまーとー会員Kazoo氏が
webにて写真で紹介されています。上から6番目の写真です。

リンクはここ

01/14/06 PFATSのサイトより

Professional Football Athletic Trainers Societyのページを覗くとまーとー会員の方々が
表彰されていたので、ここでもあらためてリンクをして彼らの功績を称えることにします。
リンク先少し下の2005 NFL/PFATS Ethnic Minority Scholarship Winnersの所です。

リンクはここ

2005 NFL/PFATS Ethnic Minority Scholarship Winners
Detroit Lions Shigeru Takeuchi Azusa Pacific & MATT
Tampa Bay Buccaneers Tetsuo Yamanaka Alabama & MATT

01/08/06 まーとー行く年来る年@テネシー 報告 第三部

まーとー行く年来る年@テネシー大会終了後、帰途でのタスカルーサにて
アラバマ大学を見学した時の様子をまーとー初登場、Kazoo隊員から報告です。

初参加でいろいろと勉強になったまーとー行く年来る年@テネシー大会も無事終了。
後は家に向かって運転するだけだったけれど、はるばるミシシッピーから、ここアラ
バマ州タスカルーサまで来たのだから、やはりアラバマ大学のアスレティックファシ
リティを見学させてもらおう、ということになりました。

まずはコットンボウル出場のため誰もいないフットボール練習場。きっと鍵がかかって
いて中に入れないと思っていたら、T隊員が「いや、入れると思いますよ」ということで
入り口に行ってみると「あら、開いてる。」というわけで、T隊員、A隊員、S隊員と共に、
自分は自分の大学のロゴのついたスウェットを堂々と着たまま練習場へ。

中へ入った瞬間、「広っ!」練習場は、たしか5面?に人工芝や室内練習場までつい
ている。自分の大学の2面しかない練習場に比べると遥かにでかい練習場を目の当
たりにし、しばし放心状態。

いや、しかしでかけりゃいいってもんじゃぁ、と思い芝生に目をやると、「青っ!!」
冬だというのに青々としたなんとも贅沢な練習場。自分の大学の赤茶色の土に
まだらにはえたコケだか芝生だかわからない練習場と比べてしまい、再び放心状態。

いやいや、しかし“隣の芝生は青い”と言うではないか、

と言い聞かせながら、やはり客観的に見てもその違いは明らかで、腕を組んだ振りを
してスウェットについているロゴであるゴールデンイーグルを隠す自分がいました。

さすがにT隊員、A隊員は自分の大学の練習場だけ
あって見慣れた様子。S隊員も“フットボールマニア”と
自負するだけあり過去に数々のフットボール場を見てき
ているようで慣れている様子、ダミー相手にswimやrip
をして遊んでいました。一方、自分の通っているミシ
シッピの、一応DI、ではありますが、小さな大学の
フットボールしか見たことがない“井の中の蛙”は平静
を装うことで精一杯。

そして、今度はコロシアムへ。完全に勢いを失った自分は既にフリースをはおい、大学
のロゴをかくして一般人を装っていました。T隊員も「ここは開いてないかなぁ」と言いな
がら少し歩き回ると、ここでも鍵のかかっていない入り口が見つかりすんなりと進入。

しかしここでも自分の大学との規模の違いをまざまざと見せ付けられるのでありました。
まずはATR。このATR、うちの大学のメインのATRよりもでかいんではないかと思われ
ました。さらにバレーボール部専用の立派なコート!うちの大学のバレー部はというと、
専用のコートなんてものはあるわけがなく、レクリエイションセンターの一番隅で、インド
人達
が隣のコートでカレーを食べながらバドミントンを楽しみ、じいちゃんばあちゃん
2階からコートを見下ろしながらウォーキングを楽しんでいるなかで試合が行われている
わけです。(編集者注:以前はコロシアムで練習、試合をしていましたが、余りにも客が
入らないのでレックセンターに移動になりました。そのため彼らはコロシアムのオフィス
を奪われ、ヘッドコーチの居場所は未だにジプシー状態です。)

そして運良くアラバマ大学男子バスケ部が
練習をしているということだったのですが、シー
ズン真っ最中なので見学はさすがに無理。しか
し2,3箇所開いている扉を通過する振りをして
わずかの間だけ見るのは問題ないであろうとい
うことで、T隊員、A隊員、S隊員、そして自分が
1列になり、ヒョコヒョコとまるでカルガモの親子
のように顔だけはしっかりと練習場に向けて、
一同通過(左図)。扉が終わると、「いやーぴりぴりしてるねー。」「気合の入った練習だねー。」
などと話しながら次の扉まで来ると誰が号令するわけでもなく、再び一列になりヒョコヒョコと、
しかし4人の隊員の顔はしっかりと練習場に向けられていました。その時の自分達はすました
顔で通り過ぎていたつもりでしたが、きっと練習場の中から見ていた人達にはあのアジア人
たちは何してんだと滑稽に映ったことでしょう。

次にフットボールスタジアムへ。2度あることは3度ある、と信じていたのですが、ここは3度
目の正直、だったらしく鍵がかかっており中には入れませんでした。残念!しかし1箇所だ
けスタジアムの中が辛うじて見えるスポットを発見して、今度は4人の隊員がそろって目の
前の鉄の折のようなところに顔をあてがって、まるで囚人が牢屋から自由を求めて外の
様子を伺うように
、はるか遠くに見えるかすかな芝生を眺めて喜んでいました。

そして最後にはすっかりこの大学の施設のすばらしさに魅了され、カレッジグッズを売って
いるお店にまで連れて行ってもらい、アラバマグッズに囲まれて楽しんでいました。

ちなみに、この見学中に女子バレーボール部、ソフトボール部、そして新体操部のポスター
があったのですが、お約束のようにどの子が一番かわいいかを隊員達で指で指しあったの
は言うまでもありません。

今回、案内してくれたT隊員とA隊員、ありがとうございました。ハティスバーグに来ることが
あれば連絡ください。自分が大学を案内します。

陸上自衛隊3日間体験研修終了生、Kazoo

01/03/06 まーとー行く年来る年@テネシー 報告 第二部

まーとー行く年来る年/クリスマス会 米国残留組 鍋会編

まーとーHP管理委員長たっての希望で、同会ホステスでありました南"なっちゃん"不二子
が鍋会時のリポートを担当させて頂きます。

まーとー南部隊員達がいらっしゃる24日、ホステス不二子は朝からナッシュビルへ出動。
鍋の材料とお土産を買い込み、万全の体制で出迎えようと張り切っていたのでありました。
途中、北上中の隊員の様子を伺うべくS隊員に(数回)電話するも留守番電話サービスに
あっけなくご案内
。気を取り直してT隊員に連絡するもさらっと無視され敢え無く撃沈。

もしや「やっぱ今日は無理・ドッキリ大作戦」か・・・

という不安を胸に準備を進めておりました。

6時頃にS隊員から我が基地に続くI-24に乗ったとの連絡が。当基地までは30分少々。
予定では6時半到着とあったものの着くのは7時過ぎだろうと高をくくっていた見習いホス
テス不二子は大急ぎで鍋の下準備を始めたのでした。炊飯器のスイッチを入れる寸前の
微妙なタイミングで隊員御一行様ご到着。100室ほどあるアパートの一室に迷わず着いた
のは流石です。(編集者注:実を言うと少し迷いました。隣のアパートの敷地に入り込ん
では探してました。)

ドアを開けるとずらっと四隊員が整列。(左:
想像図、1匹は隠れてるみたい。)S隊員とは
半年振り、T隊員とは1年半ぶり、K隊員とA隊員
とは初対面と、一瞬誰がどちら様かわからない
ままご挨拶。手土産に持参して下さった「緊張を
解きほぐす魔法の飲み物」をしまいつつ次第に
くつろぎモードへ。

「何か手伝いましょうか?」というあくまでも隊員
からの社交辞令
に、大丈夫ですとホステスの意地を見せていた不二子。しかし15分後、
ついに観念して鍋のメインである豚団子作りをお任せしたのでありました。(不二子、また
野菜切っただけ
。)

隊員達の見事なチームワークにより鍋→準備完了。
魔法の飲み物麦ジュースを取り出し(自称下戸のS隊員だけ
ウーロン茶、本人注:本当です)乾杯の準備を整え着席。
(写真:左からF隊員、A隊員、K隊員、T隊員、なおネット上で
のプライバシー保護のため写真はぼかしてあります。)大御所
S隊員の乾杯の音頭を見習いホステス不二子が横取りという
実社会ではありえないことがおこり、クリスマス会が始まっ
たのでありました。そう言えば前菜の和風サラダ用の日本風ドレッシングに四隊員やけに感激
しておりました。

会話も弾み、箸もすすみ、雑炊で〆て鍋→完食。(編集者注:
パスタもいただきました。)鍋の底が見えたのはクラークスビル
鍋会史上初めてのことでありました。

場所を同じくしてそのまま二次会へ。「ウーロン茶ばっかり飲ん
どったらいかんと」っと長崎出身T隊員の自家製梅酒を勧められ
るS隊員。お酒もすすみ、和気藹々。(それにしてもあの梅酒、
美味しかったなぁ〜by不二子
)。スポーツの話、ATプログラムの話、まーとーのこれから
(主旨なので一応)など話は尽きることなく、途中同じ九州出身のT隊員とF隊員のガチンコ
(フィクションです)にヒヤッとする場面もあったものの、夜は静かに更けていったのでした。

それにしてもA隊員、最後まで素性を明らかにしませんでしたなぁ。
(なかなか手強い新隊員登場!)

K隊員も魔法の威力が弱かったのか控えめでした。深夜1時をまわった頃から知らない間に
結構飲まされていたS隊員、会の終わりを仄めかし始めました。2時をまわってついにダウン。
翌日(って同日)のまーとー杯争奪庭球大会に向けて終宴となったのでした。

至らない点も多かった見習いホステス不二子でありましたが、全隊員がハッピーメリークリ
スマスを迎えられた事を願ってやみません。今回残念ながら母星に帰られ参加できなかった、
もしくはクリスマスなのに働かされていた他隊員の皆様、次回はアラバマでの開催となって
おりますのでそのときをお楽しみに。

以上、見習いホステス不二子の報告でした。


12/31/05 まーとー行く年来る年@テネシー 報告 第一部

第一部演題 「まーとーとNATAプレジデントちゃっくとの出会い」

25日午前中、第1回まーとー杯争奪テニス大会のため会場となるAustin Peay State Univ.
に移動しました。今回お邪魔した不二子隊長宅より学校までの道のりは約15分。普通に
見れば特別何もない道も大田舎から出てきたまーとー隊員たちはおおはしゃぎ。川にかか
っている橋を見ては「おぉ、なんか橋も違うよね」と騒ぐ始末でした。

会場となる学校についてテニスコートが目に入るといきなり不二子隊長が独り言。

「コート開いているかなぁ」

えっここまで来てテニスコート開いてなくてただ帰るの?と他の誰もが思いました。空はどん
よりと曇り天気予報では雪が混じった雨が降るとの予想。外に出るとかなり肌寒く感じました。

しかし右側になんと室内テニスコート発見!ここでやろうと盛り上がった瞬間

「鍵ないんですぅ」

と不二子隊長より却下のお言葉。仕方なく屋外コートが開いているかどうか確かめました。

幸運なことに少し水溜りはあるものの屋外コートは開いてました。ミシシッピそしてアラバマから
ラケット、シューズを持ってきた隊員たちはこれで一安心。しかしここはまーとー組員たる所以、
Austin Peayのお手洗に行くATRを先に見せてもらうべくArenaみたいな所に入れてもらいました。
Austin Peayのスクールカラーも赤のようで、アラバマから来た隊員は都合よく「BAMAに似ている」
とのたまっていましたが、でもBAMAのクリムゾンレッドとはちょっと違う、と横で思っていたのは
ミシシッピ組でした。

誰もいないひんやりとした長い廊下を経てATRへ。ATRの入り口にはスタッフの名前が掲げてあり、
そこには「Fujiko “Minami-Nacchan” Mine ATC」の文字も輝いていました。人のATRを覗くと
いうのは意外と興味があるもの、どきどきしながら不二子隊員が鍵を開けて中に入れてくれるのを
待ちました。ガチャ、という音とともに不二子隊員が中に入ろうとするとその時でした。
(効果音:ガシャーン)。

「あっっっっ」

という声をあげて不二子隊長は我らを中に入れるのを一瞬躊躇しました。何か起きたかわからない
他の隊員は「???」でしたが次の一言で全てを悟りました。

「ちゃっくがいる。」

そう、ちゃっくとはここのヘッドトレーナーであのNATAプレジデントちゃっく・きんめるさんでした。
NATAプレジデントたるもの、クリスマス朝でもATRに来てお仕事をされていました。別にやましいこと
は何もなかったのですが、チキンな隊員は彼が部屋にいるのならと挨拶もせず彼の仕事の邪魔を
してはいけないとATR見学を後にすることにしました。

バスケットボールのアリーナに移動、意外と言っては失礼ですが十分に観客席がありかなりいい感じ
のアリーナでした。あのBAMAにもない天井から吊るされた電光掲示板にはみないいなぁの連発。
そこでボールがあれば今すぐにでもまーとー杯争奪1on1バスケでも始まる勢いでした。

しかしここでハプニングはまた起きました(効果音:ドキューン)。

なんとコートの反対側に先ほど挨拶を避けてしまったNATAプレジデントちゃっくの姿が。別に悪い
ことしてないけれど
何故か見つかっちゃった感のある隊員たち。一瞬気まずい雰囲気が流れました。
しかしちゃっくからの一言でそれが杞憂であることがわかりました。

「メリークリスマス、Fujiko」
「お前もな、ちゃっく」  (まーとー翻訳班、意訳)

さすが我らの不二子隊長、くどいですがNATAプレジデントちゃっくからのクリスマスの挨拶を受け、
軽く流していました。後から聞くとちゃっくには友達が来ることをちゃっくには既に伝えていたとのこと。
別に施設を見学をすることぐらい問題なかったとのことでした。

「なんだ、こういうことなら早く言って欲しかった」

と思った隊員はぼくだけではないはずです。だったらちゃっくに駆け寄って握手をしAPTAに負けるな
そして

まーとーの支援をよろしく

ぐらい言えたからです。

こんなわけで、NATAプレジデントちゃっくとただすれ違うことが出来ました。今回まーとー行く年来る年
をテネシー州クラークスビルで開催しましたが、これだけでも意義はあったかと思います。次回総会で
すれ違うことが出来たら「クリスマスにAustin Peayのアリーナで会ったんだけど」と言えるかも知れま
せんから。無論、向こうは覚えているはずはないですが、会話の掴みとしては悪くないでしょう。

以上、まーとー隊員、とみとく特派員からNATAプレジデント・ちゃっくとの出会いをお伝えしました。

12/23/05 まーとー行く年来る年@テネシー 日程

遅くなりましたがまーとー米国残留組行く年来る年会を以下の日程で開催します。
今回不二子女史のたっての希望もあり第1回まーとー杯争奪テニス大会も催される
予定です。もっとも二日酔いが少なく、動ければの話ですが。

24日
8:30am - 9:00am ミシシッピハティスバーグ発
12:00pm - 12:30pm アラバマ州タスカルーサ発
5:30pm - 6:30pm テネシー州クラークスビル着
8:00ish まーとー行く年来る年開催

25日
昼間 第1回まーとー杯争奪テニス大会
午後 帰途

12/20/05 まーとー行く年来る年@新宿歌舞伎町、もろQ特派員のレポートです。

2005年12月19日、それはまーとー行く年来る年。。。集合時間は18時で場所は新宿駅新南口改札前。
自分はちょっと早めに着いたので、すぐそこにあった高島屋でうろついていました。とりあ えずあれば買お
うと思っていたのはプーさんのぬいぐるみ。なぜなら集合場所にお互い確認が
とれるようにと決めたのが「プーさんのぬいぐるみを持つこと」となんとなーく
あやふやに決めていたから。

自分はべぇ氏とはぎ氏はそれでも絶対になんかやってくるはずと読んでいたので、
それだったら俺もなんかせな。。っと頭の中で勝手に絵を描いていたのです。

そんな事を思いながら高島屋9階おもちゃ売り場で見つけた巨大プーさんのぬいぐるみ
を目の前にし、「こんな高いものを買ってまで恥をかくのはちょっとな。。。」っと言い訳をし、
最終的にはプーさんが来年の干支である犬のぬいぐるみを着たキーホルダーを購入しました。
(左:想像図)

あの二人にチキン野郎と言われる心構えは万全です。

それでも高島屋を出て、集合場所までプーさんのキーホルダーをカバンにつけて歩いたあのわずか数百メートルは
ちょっとした罰ゲームのような感覚だったので、もしあの巨大ぬいぐるみを持ち歩いていたらと思うと、

「関西人のプライド<チキン野郎に格下げ」でもいい。

と確信したのは言うまでもありません。 集合場所に着いたとき、ありがたい事にさっそく参加者を発見しました。この方
はとあるバスケットチームでATをされている方で、ひょんな事で参加していただくことになった方です。ちなみに彼女は
鍼灸師ATの方です。彼女にはまーとーのことは話さなかったので(←まーとー広報部注:だめです。まーとーCEUマイ
ナス1ポイント)、名前をここで明かすのは個人情報的にもよくないし、色々とあれなんでここではももレンジャーから
とって「モモちゃん」とさせて頂きます。あしからず。

結局6時に集まった人数はTexas Techで勉強されて
いるしんすけ氏を含め5名ということで、その5レンジャーは
夜のネオン街に早歩きで消えていったのです。結局プーさ
んを持ち歩いていたのは自分とはぎ氏のみで、はぎ氏の
もゼンマイ仕掛けの小さい奴で、ちょっとほっとしました。
べぇ君に関しては持ってすらもいなかったので、

「ちょっと寂しかった」

というのは今だから言えることでしょう。 で、適当な居酒屋
さんに入り、乾杯をし、無事に開催することができました。
ぶっちゃけお互いかなり初対面や初顔合わせというのもあってどうなるかなと思ったけど、話していくうちに驚くような偶然や
共通点などをそれぞれが発見し、意外と打ち解けるのは早かったように思います。一番印象に残ったはぎ氏の予想外の
動揺振りにはビデオに収めておきたかったぐらいです。彼の目はシャケが自分の川に戻る時の熊の攻撃を避けながらの
滝のぼり並に激しく泳いでいました。会話の内容は様々で、プライベート的な話もかなりあったように思います。
(まーとー編集部注:このあたり居酒屋まーとーで今度お聞きしたいです。)

一軒目が終わった時点でモモちゃんは帰りました。そこまでは問題なかったのですが、そこでべぇ氏に異変が起こった
のです。なんとべぇ氏は「眠いから帰る」と言い出したのです。他の3人は「えっ?」みたいな。特に自分は宿泊代を浮かした
かった理由から、
なんとかして朝までみんなを引きずり込む予定だったので、ここでレンジャーに相当する彼をリタイヤ
させることはできません。レンジャーのはぎ氏とミドレンジャーのしんすけ氏も色々と裏の考えがあってか、

「ここでリーダーを行かせるわけにはいかないっ」

と満場一致で死に絶え絶えのリーダーを強引に「朝までコース」のある居酒屋に
レッカー移動(左:想像図)してしまいました。そして2件目で朝まで飲み放題を迷わず
チョイスし、個人的な足場は固まりました。 しかしべぇ氏はやはり長くは持ちませんで
した。帰国して間もないし、連日の飲み会もあってか途中で帰宅されました。

べぇ君、お疲れのところ引っ張りまわしてごめんね。

そのあと、はぎ氏から「5分休憩」の要請が入り、その間の「小一時間」はしんすけ氏と2人きりで飲んでました。
全くの初対面で、10歳以上もある年の差があるにもかかわらず、こんなクソ親父の相手をしてくれたしんすけ氏
には感謝しています。
(まーとーリクルーティング班:今度は居酒屋まーとーにも遊びにきてね。)はぎ氏がなん
とか復活したあとも、とりあえず3人で飲みながら途切れがちな会話をなんとか持たせ、最後まで残ることに成功
したのです。それでもまだ早かったので、近くの漫画喫茶で時間を潰し、朝の6時頃みんな家路に向かいました。
最後までつき合わせてしまって本当に申し訳ない
と思います。最後の方は自分も限界を超えていました。

帰りの新幹線では泥のように眠り、あやうく乗り過ごすところでした。でもみなさんに会えてよかったし、いっぱい笑った
し楽しかったです。おそらく次の機会で自分が皆さんにお会いできるのならばコンベンションとなりますが、この時は
短期集中型の飲み会になるので、頑張りたいと思います。短いレポートですが、こんな感じでチッチキチーでした。

12/05/05 永住権発行枠はどのようにして決まるのか?

US Frontlineの記事です。以下抜粋(http://www.usfl.com/ee/data/2005/11212005.pdf)。

・1カ国の上限は年間発行総数の7%

現在、家族ベースの永住権年間発行数は22万6000件で、雇用ベースの場合は少なくとも14万件です。
移民法では、家族ベースおよび雇用ベースの永住権年間発行数合計の7%(2万5620件)を一つの国が
超えてはいけないと規定されています。

・移民規制緩和の動きも

今年10月以降、連邦議会では移民に関する重要な法案が取り上げられています。例えば、上院司法委員会
がH1-Bビザと雇用ベース永住権の年間発行枠を一時的に広げる案を審議しましたが、H1-Bビザについては、
原案では年間6万件という追加件数が3万件に抑えられる内容で委員会を通過しています。

■新規H1Bビザ年間発行数について、91年度まで遡って未使用分の約30万件の枠を取り戻す。それと同時に、
向こう10年間の年間発行枠を3万件追加する(現行規定では年間6万5000件が上限となっているため、法案が
成立すれば、年間9万5000件に増える)。

■新規H1-Bビザの申請料について、6万5000件まではこれまでと同じにするが、追加分の3万件に関しては
500ドルの申請料を追加する。

11/30/05 サンフランシスコのとある高校で起きたこと。

SEATAのMLより以下の記事が転送されてきました。ご参考までに。正直な感想を言うとガーゼとグローブ
を取りに行った数秒の間に倒られて2000万もの大金を支払わされるのは納得出来ません。その場には
どうせ一人しかいなかっただろうし。また弁護士の

"It was unconscionable for the trainer to leave her sitting alone," Costello later told The Chronicle.

と言うコメントですが、気を失った選手以外そこにATCしかいなかったのならどうしてこれが真であ るとわかるのでしょう?

Thursday, November 24, 2005 (SF Chronicle)
MARIN COUNTY/Injured student wins suit/$477,000 judgment against high school, medical clinic
Chronicle Staff Report

http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2005/11/24/BAGBNFTD631.DTL&

11/26/05 SEATA学生シンポジウムのお知らせ

NATA第9支部SouthEast Athletic Training Associationによる
学生向けシンポジウムが2月10〜11日、アトランタのクラウン・プラザ・ラビニアホテルで開催されます。

NATAでも一番大きい支部であるSEATAが各支部で唯一学生向けに開催する勉強会。
特に来年NATABOCの試験を受ける人には、そこで行われるMOCKテストと各項目のまとめが
役に立つことでしょう。また下級生でも嫌でも先生方と話す機会があり、ネットワークを作る意味でも価値
があるかと思います。

このシンポジウム、SEATAだけでなく全ての支部の生徒がエントリー可能です。忙しい中でも参加を
検討してみてはいかがでしょうか?

詳細は以下のサイトで。

http://www.seata.org/06atss.htm

11/23/05 Social Security, Medicare税は還って来る?

貴方は税金を払いすぎていませんか?

U.S. employers are required to withhold Social Security and Medicare taxes from wages earned
in the U.S. Individuals in F-1, J-1, M-1 or Q-1 status are exempt from these withholding as long
as they are considered nonresident aliens for tax purposes.

F-1 and J-1 students are exempt from these taxes for 5 calendar years. Please note that these
5 years correspond with the 5 years that the student is exempt from the Substantial presence
test. A student who initially enters the U.S. in December, uses up one year of exemption from
FICA taxes. The exemption from FICA taxes also ends when the student becomes a resident for
tax purposes or changes status to another nonimmigrant classification.

*MATT Online Seminarにて全文が記載されているMS word fileをダウンロード出来ます。

9/15/05 不二子のバカンス〜サンディエゴレポート〜

ハジマリノトキ in まーとー 〜サンディエゴリポート〜

前略、

残暑お見舞い申し上げます。皆様、如何お過ごしでしょうか。
夏といえば甲子園。甲子園と言えばいえばタッチ(以下参照)。

という訳で今回は私、南がサンディエゴリポートを担当させて頂きます。
気持ちばかりの夏休みを終えUnconditionedの選手(左:想像図)達が
待っている職場へ戻られた方、全く夏休み気分を味わえなかった方、
新しいシーズンの幕開けに胸をドキドキさせていらっしゃる方、様々か
と思いますが、そんな皆様へ少しでも潮の香りをお届けできれば幸いです。

さて、旅行初日はLA空港でのラストコールから始まりました。短い乗り継ぎ時間の上Nashvilleからの
フライトが30分遅れた為、ゲートで名前を連呼される羽目に。トイレも我慢してサンディエゴ行きのセス
ナに乗り込んだのでした。1時間後、これから1週間お世話になるAさんと再会。

但馬
4681 Convoy St.
(858)576-7244

その足で「但馬」という(左写真参照)日本食屋へ遅い夕食に。

「オーダーッ!サバの塩焼き定食〜」。今まで焼き魚定食なんて一度も頼んだ事
なかったのに、オサカナに飢えてた事を実感。ちなみにAさんは「豚肉のマヨネーズ
焼き定食」。夜も9時過ぎにいい年頃の女性二人でがっつり定食。
二人とも 決して女を捨てたわけではございませんよ
それにしても周りは360度日本人。聞こえてくるのも日本語ばっかり。近くの席では
どぉーー考えてもお友達に見えないギャル系おねえちゃんとネクタイしっかり締めた
ビヂネスマンが食事中。ほほーぅ、これが友達がバイトでやってぢぢいから大枚を
むしろとっていた
例の同伴かぁ・・・なんて思いながらもサバの塩焼きに舌鼓。
ルームメイト以外の日本人を見ない所から来た私にはすごく異様な光景でした。

 

2日目。この日は図書館に行ったりAさんの働いてる子供達の野球キャンプに行ったり、のんびりして過ごしました。
子供達、身体は小さくても態度はいっぱしのメジャーリーガー。かわいくて食べてしまいたかったです。

キャンプで働いてるコーチ達にも「テネシーから来た友達」って事で紹介されましたが、サンディエゴで聞くテネシー
という響きが異常に田舎くさく聞こえる感は否めませんでした。でもミシシッピ程じゃないけどね。

夜はこれまた日本食、「さくら」という居酒屋(3904 Convoy St #121、Tel:
858-569-6151)に行きました。居酒屋大好き人間としては大喜び。少々高く
ても気にしな〜い!って事で普段TNでは簡単に食べれない居酒屋メニューを堪能。
ビール大瓶を一人で空けたのには自分もびっくりでした。金曜ということもあってか
居酒屋大繁盛(左:想像図)。サラリーマンのオジサマ方が集ってる、日本では珍し
くない光景を久しぶりにサンディエゴで見てきました。

3日目は特に予定もなく、カフェに行ったりワークアウトしたりして過ごしました。毎晩外食ばかりもしてられないの
でこの日の夕食はAさんと二人で作りました。

4日目。Old Townへ。初めてサンディエゴに行ったときに、とあるレストランで食べた
トルティヤスープ(編集者注:左のようなメキシコ料理らしい。)が忘れられず、その味を
再びとランチに連れて行ってもらいました。が、出てきたスープは見た目も味も前回と
少し違ってました。残念・・・。しょうがないので昼間っからマルガリータを飲んでふわふわ
してしまった事は内緒です。それから大手スーパーMitsuwaへ行き(左:4240 Kearny
Mesa Rd. #119 San Diego、日本とほぼ変わらない
値段と品数の豊富さ、たまたまやっていた$1セール
に大はしゃぎして大量に食料調達。TNで待つルーム
メイトへのお土産としたのでした。サンディエゴに住ん
でる日本人は賞味期限なんていちいち確かめなくて
良いんだろうなぁ・・なんて思いながら買い物終了。

この日の夕食はAさんのお友達、Tさん宅にお邪魔してたこ焼きパーティー。
AさんもTさんも関西出身。関西のお宅には一家に一台必ずたこ焼きプレートが
あるらしい。しかもちゃんと調査済みらしい。たこ焼きがご飯のおかずとして
カウントされてるのにはどうしても納得がいかないけれど(もろQさんもそうされ
ますか?)、初めて自分でひっくり返すたこ焼きに感動。(左、編集者注:不二子
ちゃんのネット上でのプライバシー保護のため画像処理を施しています)
しかも自分は結構スジがある事が判明。就労ビザで働くATCのTさんの話も聞
けて、充実した夜となりました。

5日目はこの旅のメインイベント、La Jollaでカヤックを初体験してきました。SDパドレスで夏季インターンとして働いてるAさん
がメジャーリーガーRK氏からカヤックに興味はないかと訊ねられ、ショップを経営している友人を紹介してくれたらしいのです。
RK氏も話を通してくれていたみたいで、なんとその日は二人だけの為にオーナーが直々にプライベートカヤックツアーを敢行
してくれ、会員制のビーチに通してもらって砂浜でランチをご馳走になり、サーフィンを教えてもらい、オーナー持参のカメラで
写真を撮ってもらい、カクテルを片手に夕日を眺めるという、まさに夢のような体験をさせてもらいました。とうとう一銭も払うこ
となく1日が終了。恐ろしいくらいのVIP待遇でした。参考までに申しますと、カヤックツアーは1時間半でお一人様$45、お二
人様$70。レンタルになりますとお二人様2時間$45、4時間$60となっております。この日のVIP待遇は間違いなく
時給$7.50(金額を知りたい方は左をマウスでドラッグしてハイライトしてね!)で働く私が二度と体験できるようなものでは
ないと思われます。ありがたや、ありがたや〜。

最終日の6日目はPetco ParkでSD対STL戦を観戦(もちろんチケットはきちんと買いました)。STLの田口さんを見るのは初めて。
席もライト側で、この日スターターだった田口さんを間近で見ることができました。SDの大塚さんも終盤に登場。ナマのピッチング
を久しぶりに見ることができました。そういえばこの日のゲーム中、イニングの間に観客の一人が
フィールドを突っ走るという珍事件がありました(左は違う乱入)。2人のセキュリティがその後を
追って走るという、いつかのESPNで見たような光景。おかげでスタンドは大盛況!試合後にRK氏
に会う機会があったのできちんとお礼を言い、その後なんと田口さんともお話できました
ちゃっかりサインと写真もお願いしてしまいました
とっても気さくな良い方でした。残念ながら大塚さんとはお話できませんでしたが、相変わらず
楽しそうに野球をされてました。

こんな感じで私のサンディエゴ旅行は幕を閉じ、と同時に夏休みも終わった気分でまた山ごもりの生活に戻ったのでした。大して
笑いもオチもないリポートがこんなに長くなってしまって申し訳ない感じですが、過ぎてしまった夏の情を少しでも感じて頂けたら
幸いでございます。

仕事、学校とまた忙しい日々が始まってしまった方がほとんどだと思われますが、身体にはどうぞお気をつけください。
それでは皆様、また後日、居酒屋まーとーもしくはクラブしのでお会いしましょう。

草々、

 南 不二子

7/20/05 もろQさん、H-1B申請通る!

紆余曲折を経てもろQさんのH-1B申請が通ったようです。
以下にもろQさんのコメントを掲載します。

以前このコーナーで、就労ビザの取得の件を記載していただきました。その時は2週間で
結果が分かるとありましたが、移民局からのそれに対する第一報は「保留」とのことでした。
要するに提出書類に対し不明な点がいくつかあったために、それを明白にするようにとの事でした。

それから約1ヶ月かけて弁護士の言われるままに行動をし書類を集め、先週やっと書類を再提出
することが出来ました。そこからまた10日から2週間という事だったのですが、返事は速攻で
戻ってきました。回答はOKてことで、とりあえずやっと就労ビザの取得に成功しました。現在は
書類が到着するのを待っている状態です。それまではまだ気が抜けないですが、大丈夫だと思います。

とりあえずもうしばらくダラスに残ります。周りの方達の多大な協力で、やっと念願の社会復帰をさせて
頂き感謝の気持ちで一杯なのですが、まだまだ先は不安です。今後どうしたいと言う希望はまだあ り
ますし、それがどのような形になるのかは今後の行動と運しだいだと思います。要するに、みなさん
同様に今後も前進あるのみです。「笑う門には福来たる」と申します。これからもまーとーの皆さんと
いい関係を保ちながら、いい方向に楽しみながら進んで行きたいと存じます。

これからもよろしくお願い致します。

07/12/05 Is athletic training a cool job?

NATA第9支部であるSoutheast athletic Training AssociationのMLにてアスレティック
トレーナーがCool Jobとして紹介されているサイトの紹介がありました。真実であるかどうか
は別としてここでも紹介しておきます。

msnのサイト

もちろんですが、実質的な時給については全く触れていません。

07/02/05 試合報告

まーとー代表としての臨んだ米国二戦目ボクシングマッチですが、残念ながら判定(3-0)
で敗れました。試合前から体重設定のミス(コーチのうっかりから減量しすぎ)、炎天下で
長時間コーチの趣味である写真撮影(と迷子)に付き添ったことによる疲労などのトラブル
(今思えばえらいコーチです)はありつつも体調は万全、だったと思います。

相手は長身の地元選手(アウトボクサー、左:イメージ図)。減量
やメディカルチェックの時から、なんとなく笑顔を交わしていた
相手なのでちょっとやりにくいな、と思ったのがリングに上がって
の最初の気持ち。それが相手のマウスピースの不備から一度
リングから降ろされ、2試合後にようやく試合開始となりました。


その試合、とりあえず根っからのインファイター(「はじめの一歩」
で言えば千堂をイメージしてください)である僕が、いつも通り一気
に距離を詰めていくと、アウトボクサー(間柴をイメージしてください)
であるにもかかわらず相手も打ち合いに来る気配。これはおいしい!
と身長差を活かして潜り込み、ボディから上へつなげるコンビネーション。
すると、相手は距離をとりだして、そこからは典型的なインファイターと
アウトボクサーの試合となりました。

とは言うものの、今回のコーチから与えられた課題は「中距離でジャブの差し合いを制しろ」
(左:イメージ図)とのこと。なのであまり距離は詰めず、ジャブから色々繋げてやってみようと実験
(?)開始。するとオーバースロー気味に振り回した右フックが相手にヒット。正直これで勘違い
してしまいました。ろくにできもしないくせに、ジャブの差し合いからでも倒せちゃうんじゃないか?
そんな気になってしまいました。

その後は当然ながら相手も警戒するためろくに当たらず、かと言ってその状況をどうにかする
技術は僕には無いので(そもそもインファイターな上にキックボクサーですし)当たっても相打ち。
それもリーチ差があるので、相手のほうが深めに当たってしまい、印象は今ひとつだったと思います。

2R、相手は開き直ったようにリスクを背負わず距離をとりながらジャブでひたすら
ポイントを稼ぎにきました。こうなると僕はかなりどうしようもありません。キックでもそう
ですが、真性のアウトボクサーが本当に苦手なんです。

飛び込んだところや隙を見てビシビシ入ってくるジャブ。相手はそこから踏み込むリスク
は犯さないので(そうしてくれればこっちもチャンスなんですが)ダメージは全くありません
でしたが、僕はそれにカチンと来てますます意固地になってジャブの差し合いに勝とう
とします。これはどう考えても失敗でした。相手の土俵で相手の望む形で戦ったわけですから。


そこでふとした瞬間にうっかりもらった右ストレート(左:想像図)。相変わらずダメージは
ありませんでしたが、こんにゃろう!と一気に距離を詰めてそこからぼこぼこ打ち合う展開に。
するとレフェリーが突然ストップ。何かと思ったら僕のスタンディングダウンでした。

そう、アマチュアボクシングがダメージがどうこうではなく、クリーンヒットが入るとあ っさりダウンを
とってしまうんです。これはプロのフィールドにいた自分にとってはまさに青天の霹靂。今なら
打ち合った時に貰ったパンチも含めて総合的にダウンをとったのかな、とも考えられますが、
その時の僕は怒り心頭。ダメージねえに決まってんだろ!とレフェリーを睨み付けて試合再開。

すると間もなく2R終了のゴングが鳴りました。これにはがっかり。あと数秒油断しなければ無駄にポイントを失わなくて済んだのに。。

そして最終R。もう倒しに行くしかないので、開始とともにダッシュで相手コーナーへ詰めて必死の
連打(左:想像図)。すると相手も勢いに飲まれまい!と応戦してきました。このへんは相手もさすが
というかクレバーでもあり、気持ちの強いやつだったなあと思います。

もう多少のジャブは気にせずに相手をコーナーに押し込んで連打。相手はそれを突き放すかいなして、
僕のガードの上からジャブとフックを振るう、そんな展開が繰り返されました。

中盤、相手を完全にコーナーに釘付けにしましたがここで倒しきれず。逃した先で相手は苦笑い
(普通試合中は表情変えません)していたので絶対効いていたのでしょう。最後もコーナーに追い詰めて連打の最中で試合終了のゴング。

最初に書いたとおり、3-0(3者とも、1R 10-10; 2R 10-8; 3R 9-10の29-28)で判定負けでした。遠目からのジャブを除けばまともに
食らったのは2R最後の右ストレートだけ。ほんの数秒間集中力が続かなかったことが致命的な2ポイントロスに繋がりました。あとは倒す
チャンスで倒しきれなかったこと。これは悔やまれます。僕は蹴りで仕留めるタイプなので、パンチのテクニックはプロレベルでは正直今一つ。
バリエーションとフィニッシュブローを身に付けないと、この先もボクシングのリングではなかなか苦しめられそうです。

そんな反省点ばかりの試合ではありましたが、まーとーの誇りを胸に最後まで前に出続けて倒しに行った姿勢は評価されました。
完全Awayとはいえ日本同様このスタイルは素人にも玄人にも受けるので、同行者以外にもそれなりに声援を貰えて嬉しかったです。

次は7月16日にようやくキックボクシングの試合、のはずでしたが本日それもまた流れました(8月27日へ)。ボクシングなら準備できる
けど、と言われてますが現時点では保留です。とりあえず何の試合になるにせよ、次回はまーとーの名に恥じぬようすっきりKO勝ちと
いきたいものです。

長くなってしまいましたがノースカロライナより試合報告でした。

06/21/05 三つ葉の株もしくは種のお裾分け

今年の初めに知人宅からいただいてきたお雑煮、丼もの、味噌汁などの香りつけにうってつけの
三つ葉がまーとー食糧自給班の軒先ですくすくと育ちました。花が咲いて種が出来たのは知って
いましたがいつの間にか下に落ち、さらに芽が出てきて現在双葉と小さい本物の葉を確認しま
した。芽の数は少なくとも5つ確認しており、まだまだ発芽することが予想されます。

あればうれしいけど買うと高いからまぁいいやと入れるのをあきらめてしまう三つ葉、そんな会員の方
の葛藤を解消するため今回この新芽の株、もしくは種をお裾分けすることに決定しました。育て
方は簡単、鉢に入れて毎日忘れずに水をやるだけ。室内でもOKですが、たまに外に出して
直射日光にあててやると心なしか元気になる気がします。比較的すぐに育って会員の方の食卓
を豊かにすることでしょう。

ご希望の方は株、もしくは種どちらを欲しいか明記の上、まーとー事務局までウェブメイル
経由でメイルを下さい。なお送料は個人の負担(種なら恐らく37セント)になりますのでご了承
下さい。またお裾分け出来る種、株がなくなった時点でこのサービスは終了します。

まーとー農林水産省農業部食料自給班

06/17/05 第56回NATAコンベンションおよび第2回まーとー総会報告

昨日コンベンションから戻ってきました。てことで、まーとー的活動報告をさせていただきます。

初日の夕方にホテルについたら早速しげ君とゆきお君がハッピーアワーのビールを飲んでいたのを
見かけました。同じホテルとは思ってもいませんでした。そこで少しだけ話をして、とりあえずべぇ君
とも連絡を取ってまーとーの会合の日程を決めようという事で話は終わりました。自分は晩に会合
があったのでそれに出席し、そこでかなり酔っ払ってしまいました。2件目に移動中にべぇ君の方から
連絡をしてくれたので助かりました。そこでとりあえず次の日の昼間にべぇ君が何人かの人に会う
予定なので、それに合流させてもらう事で話はまとまりました。そしてその後の事は全く記憶にありません。

次の日、午前中べぇ君から電話があり、ランチをする時間と場所を合わせてべぇ君とその仲間達と合流し、
まーとーを通して知り合った友人との出会いをついに実現させたのです!でもその時点で自分のズボンの
チャックが全開で、ランチの半ばまで全く気が付かなかった事に関しては許して頂きたい。
とりあえずそこで
うだうだとし、まーとーの会合を次の日にあるJATOのレセプションの後にしようと決め、ランチは無事に終わり
ました。その決定事項をしげ君に電話で話し、場所はその時の流れで決めようという事で同意を得て、
日本人関係のはその日で終わりました。

更に次の日、再度確認の連絡を入れたところ、自分たちがレセプションに参加できる時間は4:00から5:30
までとの事。じゃあその後に晩飯でもしてそのあとどうするか決めようという事になり、とりあえずレセプションに
集合ということになりました。

4:00頃に自分はついたのですが、そこでやっと皆顔を揃え、まーとー全会員(たったの4名)が集合したのです。
ちなみに会場に入った瞬間、「ここはサイヤ人の練習道場か?」っと重力を感じたのは自分だけではないはずです。
でも非会員の自分が参加するのですからそれも当然と言えば当然でしょう。にも関わらず、JATOのとある大御所
とお話しする機会があり、その場を盛り上げてくれたので結局最後の5:30まで楽しんでしまいました。自分は更に
大御所のファンになったと同時に、本気でまーとーの勧誘を試みようかな
と思ってしまいました。うーん。。。微妙やねー。。で、そのあと何人かの人とお会いしましたが、結局まーとー会員
のみでとりあえず晩飯を食いながら夜どうするか決めようということで、すぐ側にあったモール内のばったもん日本食
のブースで限りなくチャイニーズに近い日本食を食べ、そこでもうだうだとしながらもキャッキャッっとまーとーの基本で
ある笑いもまじえ、まーとーお食事会は幕を閉じました。で、夜はその他の日本人の方達が行くと言っていたバー
に勝手に合流させてもらおうという事で同意し、夜はそのバーで騒いでました。全員の方とはお話できなかったのは
残念でしたし、途中からYasushi Yokoyamaの霊が自分に降りて来て喋り倒してしまいました。ご迷惑をお掛けし
たことをこの場をお借りしてお詫び申し上げます。 まーとー的にはしげ君、ゆきお君、べぇ君に会えてよかったし、
3人とも物凄い個性があって勉強になるところも多々ありました。これからもお付き合いよろしくお願いします。
来年もコンベンションに行けるなら、もっとたくさんの人に会えるといいなと思いました。

05/26/05 もろQさん お仕事ゲット

以下ご本人による報告です。

先週の火曜日、にダラスにあるJesuit HS(プライベートなのに、なぜか5A)から内定を頂きました。
今年の初めから本格的に仕事探しを初め、全く手ごたえのないまま来ていたのでぶっちゃけあ れかな。。
と思ってましたが、振って沸いたようなこの話がトントン拍子に決まりました。とれた理由は、第一にコネで、
あとはダラスで7年間動かなかった事が裏目に出ず幸いしたと分析します。 しかし喜んでもいられないです。
なぜなら肝心のビザ取得がかなり微妙だからです。とりあえず先日ビザの申請をだしましたので、後は祈るのみです。
仕事というのは運も必要です。自分はここで最後の難関である「運」をためされているのでしょう。ちなみに自分は
先日友人達とUNOをやり、つきつきだったのがちょっと気がかりです。運を使い果たしてなければよいのですが。。
とりあえず2週間後に自分の行き先が決まります。時期尚早かとは思いますが、とりあ えずニュースの爆笑ネタ提供って
事でここに発表させていただきます。 ぶっちゃけ高校で働くことはあまり考えていませんでした。ですが、やはり色んな
意味でダラスに残れる事は自分にとって将来大きなプラスになるだろうと思い、とりあ えずこのステップに賭けてみること
にしました。これからもこの調子でどんどん小さく賭けて行こうと思います。

あとこれは余談ですが、自分は1998年5月17日にここに着き、偶然にも2005年5月17日に内定を頂きました。
これは一体何を意味してるのでしょう?運命か?それともただの神のいたずらか?それは2週間後を待たれよ!

05/25/05 アンケートのお願い

お蔭様でまーとーの輪は着実に広がりをみせております。つきましては設立1周年を6月に迎えるに
あたって会員の皆様が活躍されている地域(=居住地)についてアンケートを取らせていただき、
今後のまーとー会員の拡大、発展に役立たせていただきたい所存です。

http://www.adexy3.com/mvotes05/vote.cgi?id=mato

つきましては見慣れた感がある投票サイトですが、ここからご自分の州、地域を選択、
もしくは必要に応じて項目を追加して下さい。ご協力宜しくお願いします。

05/24/05 news from Mississippi

Tour de MATT (まーとー) in Hattiesburg 開催 (BGM: "Truth" by T-Square)

Tour de MATT(まーとー)の会場となったLongleaf Trace

うだるような暑さの中、まーとー杯争奪第1戦、ツール・ド・まーとー in ハティスバーグが24日、Longleaf Trace
のHattiesburg-Clyde Depot間(7.6mile、約12.2km)にて行われました。蛇、野うさぎ、野リスなどの邪魔
を受けながらも壮絶なデッドヒートを繰り広げ、残り4マイルの地点でロングスパートをかけたしゅう富徳
(チーム・Over 30's所属、J大学米式蹴球部出身)が追いすがるY君(MG3CP所属、Y校野球部出身)を
振り切り記念すべき第1戦を制しました。以下が今回のプレイヤーズ・ポイントです。

1位 しゅう富徳(チーム・Over 30's) 10点
2位 Y君(MG3CP所属) 5点

しゅう富徳の談話:干支が一緒(しかし一回り違う)のY君に勝てて非常にラッキーでした。幸いなことに彼よりも
コースを熟知していたため、仕掛けどころでうまく抜け出すことが出来ました。最後はかなりバテましたが、逃げ切
れて本当によかったです。距離が短かったのも幸いしました。この結果に奢らず今後も努力していきます。

第2戦は6月中旬、LongLeaf TraceのHattiesburg-Epley間(11.4マイル)にて開催予定です。

※まーとーではツール・ド・まーとーに参加していただける会員、そして開催可能な会場を探しています。
思い当たる節がある方はまーとー事務局までHPのFORM MAILをご利用の上ご連絡下さい。

05/23/05 まーとー会員の皆様へ

第1回naoko女史呼称決定のための決選投票にご協力いただき誠にありがとうございました。

間延びした感がある投票も無事締め切りをアメリカ中部時間5月23日午前0時
(日本時間23日午後2時)に向かえ、あらためてまーとー選挙管理委員会
(選挙管理委員会兼立会い人;団郷大輔氏)による即日開票の結果、以下の
ようになりましたので謹んでご報告致します。

なお締め切りが延びたのは選挙管理委員会の勝手な都合です。しかしながら
この変更に関していかなる異議も受け付けず、今回の結果は有効との旨を
団郷氏から申し伝えられおりますので、皆様ご了承下さい。

開票結果速報(byまーとー選挙管理委員会)

Last Updated: 01/14/06